最初に訪れたときとは違い、とても気持ちが良い。

 中編では、河口までの約1.5kmをレポートする。

 

写真の左の道を登り、いよいよ多摩川沿いの遊歩道に到着した。

改めて見てみると、この道には日陰というものが存在しない。

よくここを真夏に水も持たずに歩けたものだな、と思う。

 

道端には、誰が植えたわけでもなく綺麗な花が咲いていた。

これはスミレだろうか?管理人は花について疎い。

 

ご覧のとおり、非常に長閑な景色である。

ジョギングをする人、自転車に乗っている人、散歩している人など、遊歩道はそこそこ人が居た。

きっと地元の人たちの「憩いの路」なのだろう。

 

…さて、ちんたらと歩いていると、何か道端にあるのを発見した。

キロポストらしく、1.4kmと彫られていた。これは勿論河口までの距離だ。

今回は書くことが少ない。

 

対岸を見ると、飛行機が停まっていた。

どうやら滑走路ではなさそうな雰囲気だった。

 

羽田空港は、何回も拡張と移転を繰り返してきた。

つい20年前までは、空港のターミナルビルは今よりももっと西側に存在していたのである。

そして現在も、さらに拡張して滑走路を増やす計画があり、着々と工事が進められている。

 

現在、空港へのアクセスを担っている京急空港線は、幾度と無く路線変更と延長を繰り返してきた。

ただ、その経緯を説明するのは面倒臭いので今回は割愛。(というより多摩川と話題がずれている…)

それでも少しだけ説明すると、1980年代の空港線の「羽田空港駅」は、現在の小島新田駅のような単線でホームが1つだけのとても小さな駅だったのだ。

その羽田空港駅から羽田空港まで連絡バスが出ていたのだが、如何せんとても分かり辛く不便だったという。

1991年、地下にある羽田駅(現・天空橋駅)まで線路を延ばすため、穴守稲荷〜(地上の)羽田空港間は休止(廃止)された。

そして1998年、現在の羽田空港駅までさらに延伸されたのである。

今でも地上線時代の線路跡は、不自然な程細長い駐車場として残っており、縮尺の大きい地図で見るとその姿がはっきりと分かる。

…説明が下手糞ですみません。

 

さっきの1.4kmポストから200m進んで、こちらは1.2kmポストである。

多摩川は前回来たときとは違い、しっかりと空の色を反映していた。

 

さらに進んで行くと、今度は干潟が現れた。

干潟には潮干狩りらしきことをしている人たちが数名いた。

 

1kmポストである。河口まであと1km。

2007年版の0km地点の写真(スライドショー)の最後は、この1kmポストの写真だった。

 

いつもより文章量が少ないのは、管理人がサボっているからという訳ではない。

歩いていてとても気持ちの良い道なのだが、如何せんレポートにする「具材」が少ないのである。

ではなぜこの「中編」があるのか?

…ノリです。

 

以前はここにいすゞ自動車の工場が存在した。

が、2004年にこの地から撤退し、跡地には現在「ヨドバシアッセンブリーセンター」という

ヨドバシカメラの流通センターらしき施設と、写真のだだっ広い駐車場が存在する。

 

ちなみに、奥の首都高速、2層構造がとてもnice!だと思う。

(何が良いのかは聞かないでやって下さい…。)

 

再び対岸に目を移すと、東京モノレールが走っていた。

東京モノレールも、1964年の開通とかなり古い路線である。

その為なのかどうなのか知らないが、兎に角揺れる。

少なくとも多摩都市モノレールよりは揺れる。

怖い。

 

ここで左手の河原に樹林帯が現れた。

そこには、ここを住処とする人たちの家が幾つか建設されていた。

そういえば数年前に、台風で多摩川が増水してホームレスが取り残されるという事件があったような無かったような…。

 

0.6kmポストである。

このポストはいつ頃設置されたのだろう。かなり古い時代であることは間違いない。

 

…で、左手の樹林帯が途切れると、今度はススキの原となった。

夕方になってきたなあ。

 

0.4kmポスト。

いよいよ、前回断念地点が見えてきた。

 

…って、あれ?

1年半前と、何も変わっていないような気が…。

 

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