崩れゆく、断崖の古路。 日原トンネル旧道を歩く(4) 2009.03.01
幅200m足らずの崩壊地を越えるのに掛かった時間は、15分。
その15分が「決して薄くはない15分」だった事は言うまでもない。
…これより先の15分も、ちっとも薄くはなかった。
日原隧道氷川側坑口の傍には、一本のカーブミラーが立っていた。
長い年月の所為で支柱は真茶色に錆びていたが、ミラー自体はその輝きを未だに失っていない。
用途を失って幾年月を経てもなお、ミラーは瓦礫に埋もれた路面を映していた。
ミラーに写りこむ人影は私であるが、気にしないで頂きたい。
確かに路面は落ち葉や小石に埋もれ、そこから木が生えている立派な廃道だ。
だがそれでもアスファルトの舗装はしっかりと顔を出しており、今までの状態から見れば荒廃度は低い。
先程の大崩壊地をどうにか突破する以外にここに来る方法は無い事から、訪れる者はあまり多くないと思われる。
ここはいわば川の中洲、道無き斜面という激流に挟まれた廃道の中洲なのだ。
先程の写真から50mほど進み、振り返ってみた。
そこには、崩壊地の対岸にもあったカーブの標識。こちら側も現存していた。
しかし、明らかな右カーブにその標識はあるのに、標識の内容は左カーブを示している。
この「左カーブ」は先の日原隧道内が左カーブであることを示しているのだが、標識の場所とその内容が一致していない所が少し可笑しかった。
なおここにもカーブミラーが設置されていたが、すでにミラーは失われていた。
現道から見える範囲の日原トンネルの旧道は、この辺りまでである。
ここから先は山の死角となって、互いに望むことはできなくなる。
再び進行方向に向き直る。
相変わらず路肩側には土砂の山が形成されてはいるが、まだまだ路面状態はグーである。
そもそもこの辺りは道が広く、センターラインの類は無いものの、離合も余裕の2車線幅を持っている。
これが意味するところは、つまりここはまだ余り厳しい地勢では無いという事である。
厳しい地勢なら、必然的に車線幅は減少するからだ。(現道のように「桟道」によって幅員拡張などという芸当は、勿論無い)
さて、更に40mほど進むと愈々道が細くなった。
路肩も法面も険しい岩の斜面で、事実路面の荒廃度が増した。
再び舗装が顔を出すのは、かなり先の地点であった。
ましてや先程のような平穏な区間が復活するのは、ずっと先、この旧道の終盤辺りとなる。
…旧道に入って初めての、明確な立入禁止の意思表示である。
この旧道において、後にも先にもゲートによって封鎖されているのはここだけである。
(旧道入口のテープは、ボロボロに破られており、抑止力が有ったものではなかった。また旧日原隧道は、崩壊地の横断で突破可能であった。)
我々はこの探索中に、(恐らく地中の)発破を感じることは無かった。
が、しかし現在も鉱山は稼働中であり、発破もなされている。
この異常とも思えるほどの崩壊ぶりは、勿論それとも関係しているのであろう。
このゲート、路肩法面共にしっかりと固めてあって、奥多摩工業の強い意志を感じた。
それでも経年の劣化には耐えられなくなっているようで、あちこちで綻びが生じていた。
我々はこのゲートを越えた。しかも正面から。
それは全く誉められた行為ではなく、賢明な人間なら真似をしないだろう。
我々はこのゲートを越えた。「自己責任」という何とも都合の良い蓑を着て。
ゲートを過ぎると、やはりと言うべきか何というべきか、道が斜面となって消えた。
今度はトンネルで回避と云うことも無く、旧都道そのものがすっかり埋没してしまっていた。
ただ先ほどの大崩壊地の様に路盤ごとゴッソリという訳ではなく、今度の場合はあくまで埋没である。
その証拠に、本来は転落防止の役割を持つガードロープがギリギリ残っていた。
恐らくは、このガードロープの高さが本来の路面の高さなのだろう。
が、山の上の方から続く瓦礫の斜面はそのまま下に続いており、このガードロープ以外は全く道の痕跡が見つけられない。
いざと言うときに(あってはならないが、滑落)、このロープで救われるか…とも思ったが、やがてこのガードロープも
地中に潜ってしまい分からなくなってしまった。
道無き斜面は、やはり岩がちで足場も多く、さほど前進には難儀しない。
少なくとも大崩壊地を横断してここまで来られた人ならば、大丈夫だ。
そこからは、何故か草地を越える。
草地と言っても崩壊したところに枯草が茂っているだけのところなのであるが、ここも通過は容易だ。
案外枯草は切れることなく、我々の体重を支えてくれるのである。
草の崩壊地を越えると、続いてこのような小崩壊地のお出ましだ。
先の大崩壊地と似ており、まだ規模も小さいためにここも何とか越えられた。
…というわけで、我々は2つの崩壊地を越えた。
そしてこの写真の地点に至っている。2枚上の写真の撮影から約10分が経過していた。
この写真は振り返って撮影している訳だが、分かるだろうか。
ここは、瓦礫の斜面でなく、土が主体の斜面なのだ。
土の斜面と言えば、当レポートの其の1で私が滑落したように、大変脆い。
その進みにくさは瓦礫斜面の比ではなく、足を乗せただけでボロボロと足場が崩壊していくのである。
幸い斜度は対岸より緩かったものの、頼りになる立ち木が少ないのだ…。
この写真の地点が、この旧道の中で最も怖いと思ったところである。
手前は草の崩壊地、奥に小崩壊地がある。
帰りもここを通るのかと思うと、気分がかなり重くなった。
言ってしまえば、ここから小崩壊地までの20mが目茶苦茶怖かった。
これを使えと言わんばかりにガードロープが垂れているのだが、その肝心のガードロープは中空を渡っており使い物にならない。
…ともかく、どうにかこうにか難所は越えた。
越えたは良いが、越えた先には次の難所が待っていた。
運転士氏曰く「断崖絶壁」の場所、本当に断崖絶壁だ。
先ほどとはまた別の恐怖が、ここから先にはあった。