原生林茂る、甲武の深山

飛龍山(2077m)2

2009.03.25-26

 

 いざ飛龍山へと、私を含む某高校ワンダーフォーゲル部のメンバーは奥多摩駅へと集った。

 バスを降りて歩き始めた林道後山線。自然林が多く残る魅力的な林道だ。

 だがこの林道、歩きだと果てしなく長い。

 という訳で、今回も後山林道のレポートから始まる。

 

青看板を過ぎても、道に大きな変化は無い。

新緑や紅葉の時期に歩けば飽きることも無いだろうが、こんな枯れ木ばかりでは飽きる。かといって杉桧の森でも面白くない。

つまり、もう早く林道が終わって欲しい。そう思い始めていた。

 

カーブミラーが設置されているあたり、よく整備されている林道だと思った。

 

進んでいくと、なにやら工事現場が現れた。

作業員は5〜6人。どうやら新たな落石防護ネットと路肩の工事をしているようだった。

我々が近づいても、作業員たちは何も反応しない。

作業現場の中を進んでいると、先程我々を追い越したトラックが道を通せんぼ。

私が「あの…」と言うと、作業員が「どうぞ」とだけ一言。

トラックと資材の間の僅かな隙間を、私たちはコソコソと抜けたのであった。

 

進んでいくと、こんな谷(?)を何度も横切る。

岩々から滴り落ちる水は清涼感MAXでいかにも綺麗そうだ。

だがこの水は、飲めるのだろうか?

山の水は美味しいと良くいうが、そのような水はよほど上流部の沢の水か湧き水くらいのものであり、

こういう「得体の知れない水」は飲まないのが賢明である。

 

起点(国道との交差点)から3.5km。

後山林道はこの「黒滝橋」で後山川本流を渡り、ここから少しの間右岸沿いを遡っていく。

橋の竣工は昭和41年、至極単純な構造の桁橋だ。

相変わらず辺りは焦げ茶色の世界である。

 

右岸を進んでいくと、小さな橋が現れる。

釜の口橋」といい、竣工はやはり昭和41年。

ガードレールはボロボロで、この橋の古さを伝えてくれる。

我々は、左手にある小さな平地で小休憩をした。

 

それにしても、「釜の口」という字を見たとき私はふと思い出した。

去年12月に行った、上高地の「釜トンネル」である。

あそこでの「釜」とは、「激しい水しぶきでまるで釜から出る湯気のよう」という意味だった。

ということは、この辺りの後山川は激流となっているのか?

 

橋の上から、後山川の様子を確かめてみた。

…確かに急流だが、「釜」というほどのものでもない。

この橋名の由来を、是非とも知りたいものである。

 

山側を見ると、そこには大きな山葵田が作られていた。

山葵は綺麗な水でしか育たない。やはりこの辺りの水は綺麗なのだ。

辺りが灰色と焦げ茶色に染まる中、山葵の緑と流れ落ちる清流は我々の眼を癒してくれた。

 

小休憩を終え、再び三条の湯に向かって歩き出す。

この辺りは、法面路肩共にほぼ垂直となっており、かなり険しい地形であることが窺える。

しかしガードロープが設置されているお陰で、車で走っていてもさほど恐怖は感じないだろう。

 

起点から4.7km。ここで「後山橋」を渡り、再び後山川左岸に戻る。

が、道は後山川ではなくそのまま支流の塩沢に沿っていく。

 

後山橋を渡っておよそ100m。

ここで「塩沢橋」をもって塩沢を渡り、後山川沿いへと戻っていく。

この塩沢沿いには塩沢林道という短い林道があり、橋の袂から延びているのだが、

入口にはチェーンがかけられており、万年通行止め(→廃道?)の雰囲気を出していた。

因みにこの辺りが、起点の交差点と三条の湯の丁度中間地点だという。

ああ、長い…。

 

塩沢橋から800mほど進んだ5.6km地点で、「鷲久保橋」を渡る。

ここら辺で一度は止んだ小雨が再び降ってきた。

なんか段々レポートが平べったくなってきているが、其れは管理人がレポートを書くのに飽きている証拠である。

 

更に進んでいると、突然舗装路となった。

路肩の綺麗を見る限り、比較的最近に施工されたものらしい。

このあたりからは、舗装路と未舗装が何度か繰り返される。

恐らく東京都は、全線舗装化を進めているのだろう。

 

実は、この時私はかなり危ない状態にあった。

この山行の前日物凄い頭痛に襲われて、頭痛止めの薬で何とか抑えている状態だったのだ。

しかもその薬の効果も切れかけてきている。頭が痛くなってきた。

三条の湯。早く入りたいです。

 

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