原生林茂る、甲武の深山

飛龍山(2077m)1

2009.03.25-26

 

 飛龍(ひりゅう)山は、東京都最高峰の雲取山から西に延びる奥秩父縦走路沿いにある山である。

 埼玉県と山梨県に跨っており、飛龍山とは山梨側の名前である。(埼玉側からは「大洞(おおぼら)山」と呼ばれる)

 雲取山から奥秩父縦走路を西に進んで行き最初にある「山」がこの飛龍山なのだが、隣の雲取山に比べて目立つ要素が無く、

如何せん縦走路から僅かに外れている為に登山者も多くなく知名度も低い可哀想な山である。

 そんなこの山の魅力といえば、何と言っても豊かな原生林である。人が居ないが故の静寂に包まれた森林と、四季それぞれの

美しい景色を求めて、この山へ向かう人々は決して少なくは無いだろう。

 

 この山への主なアプローチとしては、先程も述べた奥秩父縦走路を使って雲取山や雁坂峠などから来ることが出来る。又は麓にある

「三条の湯」という山小屋から登ってくるか、南側の「ミサカ尾根」を登ってくることもできる。

 「三条の湯」は、多摩川もとい丹波川支流の後山川を9km程遡った所にあり、温泉が付いているとても豪華な山小屋である。

 この小屋の近くまでは林道が通っているため、車を使えば日帰りで登山をすることも可能だが、ここはやはり山小屋に泊まっての

登山がベターだろう。

 

 今シーズンの冬は、東京でも2月中旬に20℃を越える等記録的な暖冬となった。無論奥多摩の山でも、降った雪が根雪とならず直ぐに

解けるという状態になっていた。それは前回の山行も分かっていた。

 都心では桜も咲いたことだし、今度の山もあまり雪は無いだろう…と考えてはいたのだが、やはり2000m超の山は甘くは無かった。

 

午前1149分。私とメンバーの一人は、青梅駅のホームにいた。

初日は、「三条の湯」に向かうだけなので、こんな遅い時間からの出発となった。

山に行くような格好をしていたのは、私たちだけであった。

 

奥多摩行きは4両。平日のこの時間帯に4両は些かオーバースペックだろうと思ったが、意外と乗客は多かった。

が、御嶽駅に着く頃にはそれらの大半は降りてしまっていた。

代わりに乗ってきたのはランドセル姿の小学生たち。恐らく今日が修了式だったのだろう。

ここら辺ともなると、私立でなくとも電車通学なのだ。

 

いつから降りだしたのか分からないような霧雨が、しっとりとあらゆる物を濡らしていた。

車窓に見える筈の山々も、霧の中に隠れていた。

 

午後1230分、私たちのほか数人を乗せた電車は奥多摩駅に到着した。

駅舎を出てみると、一日4本の丹波行きのバスが出発を待っていた。

町の人は皆仕事などへ向かったのだろうか、人は疎らであった。

 

バスに乗ってみると他のメンバーたちが。どうやら一本前の電車で来ていたようだ。

前方の座席には3人の小学生。氷川小学校の児童に間違いないのだが、果たしてどこまで行くのだろうか。

運転士が前扉から乗ってくると、直ぐに発車した。

 

発車してしばらくすると…何故か戦車とすれ違った。でかい大砲の戦車である。

後ろに5〜6台のバイクを連れて、悠々と青梅街道を走っていた。

こんなところで、戦車と出くわすとは…。

一体どこへ向かうのだろうか。

 

病院前バス停で乗客の一人が降り、奥多摩湖バス停で山の重装備をした二人組が降りていった。

その時点でバスに乗っていたのは、小学生三人と我々のグループのみとなった。

 

倉戸口、熱海、女の湯、坂本園地…バスはどんどん進んで行き、運賃表示機の「0」欄の金額は上がっていく。

峰谷橋で小学生の一人が降り、もう一人は大津久あたりで降りていった。

残る一人は留浦。山梨県まであと2つの所にあるバス停だ。

奥多摩駅からはるばる40分。他人事ながら、物凄いところから来ているものだなあ…。

 

短いロックシェッドを抜けるとお祭バス停。我々がそこで降りたあとにバスに乗っていたのは、運転手ただ一人だった。

 

お祭バス停である。バス停がぽつんとあるだけ。

…正直に言ってしまうと、何も無い。建物も見あたらなければ、車通りすらない。

何故こんな所にバス停があるのかが謎であるような所だ。

昔はこの附近にもいくつか集落があったのだが、今ではその殆どが廃村となってしまったという。

 

バス停から100m程塩山方面へと進むと、後山林道の入り口がある。

奥多摩側からは楽勝だが、塩山側からだと切り返しをしなければ曲がることの出来ない交差点だ。

ここを10km程進むと三条の湯。バイクや自転車ならそれ程でもない距離だが、徒歩だと長い…。

 

今回(と恐らく次回)は、飛龍山ではなく後山林道のレポートとなるのでご理解いただきたい。

 

林道は直ぐに未舗装となる。

路面は砂利敷きで、所々轍が深くなっている。

自動車は四駆でないと少し厳しそうだ。

 

…と思ったら、舗装が復活した。

どうやら何かの駐車場があるらしく、車が数台止まっていた。

何かの施設があるようだが、よく見なかったので分からない。

 

舗装は100m程で途切れ、再び未舗装となる。

ガードレールもろくに設置されておらず、なかなかスリリングな道のりだ。

 

だらだら歩いていると、後ろから重たい音が。

何かと振り返ると何とトラックがやってくるではないか。

車幅は道幅ギリギリ、運転手はさぞや怖かろう…。

 

今度は、路肩に古タイヤの山が現れた。

どうみても不法投棄っぽいが…。まさか資材置き場か?

だとしたら、随分と大雑把な積み方だと思うのだが…。

 

起点から1km程進むと、写真の「杉奈久保橋」が現れる。

欄干の低さといい、親柱の苔生し具合といい、かなり古い橋であることが分かる。

脇のコンクリート製の駒止めらしきものを見て、一瞬旧道があるのかと思ったが…多分違うだろう。

 

この橋の名にもなった杉奈久保とは、この山の上方に存在する集落である。

小袖乗越(七ッ石山の項参照)から道が延びており(交差点の写真、現在も数世帯が暮らしている。

 

なおも道は後山川沿いを行く。

木製の電柱があることから、どうやらこの先にも電気は通っているようだ。

…というより、こんな路肩に電柱を建てて大丈夫なのか?

 

路肩に寄って後山川を覗いてみる。正直怖い。

どうやら小さなダムがあるらしく、水をせき止めていた。

この景色を見る限り、かなり高い位置に道路が走っていることが分かる。谷底との比高は50m位だろうか。

また山の傾斜は激しく(45度以上はある)、道路から川に降りることは道具なしには難しいとみた。

 

起点から約2km。路肩に広場が現れたと思うと、今度はバンが棄てられていた。

ガラスを割られ、タイヤは無く、完全に息絶えた車となっていた。

しかも車は派手に路肩に突っ込んでおり、事故で突っ込んだまま廃車にされたのではないかと思ってしまった。

 

いつの間にか道は後山川を離れて、支流の片倉谷に沿っていた。

さすが支流だけあって沢の勾配は激しく、道と沢との高低差が直ぐに縮まった。

岩の間を流れる急流と水の音が、我々を感動させたのは言うまでも無い。

 

そして道は写真に見える橋(多分「片倉谷橋」という名だろう)を渡る。

実は橋の直前に林道起点の杭があり、そこが後山林道の起点という事になっているのだ。

では今までの道は何だったのかというと、恐らく丹波山村の村道である可能性が高い。

まあ、実際の起点はこの杭の地点なのだが、便宜上国道の分岐点から後山林道とされていることが殆どである。

因みに起点からは0.5kmおきにキロポストが設置されている(勿論0km地点はこの杭だ)。

長い林道歩きに辟易する登山者がいたとしても、このキロポストを見れば少しはやる気が出てくるに違いない。

 

そして道は片倉谷を離れ、再び後山川沿いを行くようになる。

 

さて、実際の「後山林道」に入ると、道の状態が少し良くなる。

というのも、路肩にガードレールが設置されるようになってきたからだ。

 

崖っぷちの道を進んでいると、林道お馴染みの青い看板が。そこには「東京都」と書かれていた。

ここは山梨県なのに、看板には東京都。何故か?

それは、この附近の山一帯がみな水源林として東京都水道局に買い取られているからなのだ。

さらに青看板の下には「監視中」という物騒な文字が。これも何故こんな文字が?

三条の湯のご主人曰く、実はこの林道で金属泥棒が出たらしく法面の落石防護ネットが盗まれてしまい、

そのことに対し東京都が腹を立て林道を通行禁止にさせようとしたが、何とか監視カメラ設置で

通行禁止にならずに済んだ、という。

 

まだまだ先は長い。10kmはかくも長い。

 

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