この奇紀行も、ようやく折り返し地点附近まで来た。上流へ行くごとにレポートが川から遠ざかっている気もするが、今回もいつもの調子で行く。
50km地点を仕留められなかった私は、青梅線の中核駅青梅の一つ手前の「東青梅」駅で降りた。拝島より寒く感じるのは雲が厚くなったせい
なのか、はたまた標高が上がったのか。そんなどうでも良いことを思って改札を出てみると、お約束の駅周辺地図がある。ここ東青梅駅から
多摩川までは、意外と道が入り組んでいて分かりにくいのだが、多摩川もここらへんまで来ると河岸段丘の底になっているので、川へ行く道は
全て下り坂となっている。ここにいつまでも居ても仕方がないので、取り敢えず駅を出た。青梅市は、実は市役所などの官庁は青梅駅附近には無く
ここ東青梅駅にあるのだ。しかし栄えているのは青梅駅。市役所があるといえど隣駅に比べてみると栄えてはいない(住民の方、すいません…)。
取り敢えずメインストリートらしき道を歩いていくと、工事現場や祭りのときによくある簡易トイレがあった。トイレにいきたかったので迷わず入った。
あっという間に道は住宅街の一方通行路となった。高校の脇を通り、多摩川方向に向かう都道が現れたので左折。道は転げ落ちるように下っていき、
ここが河岸段丘の中にあることを実感させられた。坂を下るうちに今度は少し大きい道に突き当たった。この道を真っ直ぐ行けば今回の目的地の
「調布橋」。つまり60km地点附近に着けるのだ。そこへ向かって歩くと、道は陸橋となり更に下り始めた。さっきは左手に玄関があったのに、もう屋根が
かなり下のほうにある。最後に青梅街道を交差点で越えて、調布橋に着いた。お馴染み京浜河川事務所の地図もここが60㎞地点附近と示している。
因みに京浜河川事務所が多摩川を管理しているのはここら辺までであり、ここから先は恐らく東京都の管理となるのだろうか。さらに、毎回目印と
しているキロポストも、60km地点では発見できなかった。(どうやら存在しているらしいが…。)
ここからが通称(自分にとっての)“多摩川案内のバイブル”「多摩川散策絵図(村松
昭・画)」の出番だ。それによると60km地点はここから僅かに
上流に行った地点だという。そこで橋を渡り南岸に出てみると、丁度橋の袂に河原に下る一本の道があった。今回詳細な地図は持っていなかったが、
見たところいけそうである。その判断のもとでその細い舗装路を下ってみる。が、すぐに道は行き止まり。川沿いのマンションの駐車場らしきところに
なっていた。ここで引き返すのも面倒臭かったので、駐車場を廻ってみていると、なんと更に下れる薮の道があるではないか。やはり運は味方して
いる…と入口の段差を越えようとすると、「ここは、進入禁止」という類の看板がぽつんと薮の中にあるのを見てしまった。
…否、この駐車場の敷地を抜ければそこは多摩川、つまり誰の私有地でもないし、見たところ周りに見られてはまずいものはないし、「ここ」とはつまり
薮の中のことであり薮になっていない「道」は進入可能であろう…という屁理屈を考えつつ進入。気がかりなのは後ろのマンション、廊下からこの地点が
丸見えなのだ。不審者に見間違われないだろうか。いや、実際、不審者か。
降りた河原が丁度60㎞地点(附近?)である。やはり今までの景色と全然違う。もう緩やかな大河というものでは全く無く、いよいよ中流という香りが
する。現にこの写真を撮った地点から辺りを見回しても、この調布橋と上のほうに建つ幾つかのマンションしか人工物は存在しなかった。
人もいない…と思ったら釣り人らしき人たちもいた。やはりこのルート(薮の道)は公認のようだ。多分。安心したところで周辺を散策してみる。
すぐそこに小川が流れていた。何の変哲もない小川であったが、私は何となく、多摩川の性格が変わってきたことを感じた。
いい加減に暗くなってきたので撤収することにする。地図を見ると、ここからであれば東青梅駅より青梅駅のほうが近いようなので、今回もまた
東青梅駅まで戻らないで、青梅駅まで歩いてから帰ることにした。さっきの薮道(やはり立ち入り禁止なのだろうな。)を戻り、犬にほえられながら
再び調布橋の袂に戻る。傍に吉野街道が走っていたので、そこを西へ歩くことにした。
歩道は無いくせに交通量は頗る多い。この道は歩くには適さないことを知り、程なく釜の淵公園に到着。鮎美橋という人道橋を渡り、河岸段丘の
急坂を登って、青梅駅到着。空はすっかり暗くなっていた。