前からつくづく思っていたが、西武多摩川線というものは、西武鉄道の中で仲間外れにされていると思う。他の西武路線はみな自社の他線と
つながり、直通列車も頻繁にある。鉄路では繋がっていない西武狭山線「レオライナー」であっても、始終点駅共に西武の他線と繋がっている。
それなのに、この多摩川線は例外であり、武蔵境駅で中央線と直接繋がっているのみ(高架化工事以前は線路も繋がっていた)で“西武ネットワーク”
とは何も互換性は無い。西武の中でも多摩川線は別扱いとされているようで、未だ自動改札が無い駅も多い。車両も全て西武の最古車両。
只、これがファンの注目を集めているのも事実だ。多摩川線は昔、多摩川の砂利を輸送する「多摩鉄道」という別会社で、のちに西武に
買収されたという経緯を持つ。かつては西武新宿線と繋げる予定があったというが、結局武蔵境からは線路は伸びなかった。
いきなり話が逸れてしまった。ただ、近所の路線なのにあまりにローカルで乗ったことが無かったので、つい感慨深くなってしまった。
去る10月2日、日も随分西に傾いた頃、私はJR国分寺駅のホームに立っていた。国分寺駅、以前住んでいたところから遠くなってしまった。
歩いて15分が、電車で15分という具合に。西武沿線に住み、西武沿線の学校に通っているので、中央線も乗る機会がほとんど無くなった。
知らぬうちに新型車両が増えたものだ。自分の見ないうちに、街も変わっていくものだ。
武蔵境駅など、降りたのは何年振りであろう。高架化工事の真最中らしい、出口に出るのに非常に遠回りをさせられる。西武多摩川線の
ホームに出ると、面白い光景が見られた。駅舎は新しいのに、車両は西武の最古参。やはりこれは特異な路線だ、と思った。
河口より30km地点に最も近い駅は、終点是政のひとつ手前、「競艇場前」駅。名の通り多摩川競艇場が近くにあり、また多摩川も至近距離
にある。ホームは相対式だったのだが、その反対側のホームは線路が剥がされていて、実態は単線ホームでなんとも寂しい。南口から出ると、
いきなり住宅街。遠くに多摩川の土手が見えたので、それに向かって歩く。今までのようなしんどい歩きも無く、暑さもなく、西日傾くこの時間帯
を除けば最高の状態で探索ができた。
300m歩いたかどうかで土手に着く。多摩川は10km地点等に比べると随分と川幅は狭くはなっていたが、それでもまだまだ広く、河川敷を
含めると500mはありそうだ。自分が持つ「住宅街を流れる大きな川のイメージ」は、まさにこの周辺の風景にピタリと合う。さて、河川敷に着いたは
良いが、肝心のキロポストが無い。確か、お馴染み「京浜河川事務所」の地図ではここらの筈である。そこで周辺をうろついてみると、小さな石らしき
ものに「30.8」と彫られているのを発見した。左岸から見れば河口は左方向、私は背中に陽を浴びながら、サイクリングロードを進むことにした。
西日の射す自転車道。道行く自転車も少なく、人も疎ら。耳を済ませると、風の音と遠い水の流れ。遠くには多摩の山。なんともいい感じである。
30kmポストは、そんな長閑な景色の中に溶け込んでいた。
さて、そろそろ戻らねばならない。この頃日も短くなってきた。駅に戻る途中に、土手を西へと向かう途中に河原へ向かう道があったので、土手を降りて
進んでみる。草地を暫し行くと河原へ出た。川の水はなかなか澄んでいて、最初に赴いた河口とは比べ物にはならない。尤も、あの時は台風が過ぎた
後だったので水が濁るのも当然ではあるが。
多摩川は高度経済成長と共に、姿を変えてきたといっていいだろう。つい30年前は、そこらに泡が浮いていたという。よくぞここまで綺麗になったものだ。
そして、日もいよいよ茜色の雲へと隠れようとしていた頃に、競艇場前駅より40年の歴史を持つ黄色い電車に乗り込んだ。
乗客は、私一人であった。