うとうとしている間に、六両編成のステンレスの電車は、武蔵溝ノ口駅へと滑り込んだ。午後の、普通ならかなり空いている時間帯なのに、

南武線は常に込み合っている。六両編成は短いと思う。せめて武蔵野線と同じ八両編成にするべきである、と思う。

 いきなり話が逸れてしまった。私は地図を見ていた。この取材には欠かせない地図。京浜河川事務所・多摩川散策マップである。この地図に

よると、20km地点に一番近いのは「久地」駅であるように見えたが、その前の「津田山」駅からも近いように見えた。それを見て、どうせなら

同じ駅で乗り降りするより、違う駅で乗り降りしたほうが楽しいと思った。これが大誤算であるのを知ったのは、それから約30分後のことであった。

 

電車は津田山駅に到着した。私はここで降りた。平間駅にも宿河原駅にもエスカレーターもエレベーターもない。階段の上り下りも、疲れている

状態ではしんどい。息を切らしながら改札を出て、駅に備え付けられている地図を確認する。私は、降りなければ良かったとそのとき分かった。

多摩川へと向かう道は、まるで縺れた糸のように絡み合いながら、地図の端のほうへと消えていく。こんなに遠いとは京浜河川事務所の地図では

云っていないぞ、と思った。が、それもその筈、この駅は印刷された紙の下に隠れて載っていなかったのだ。つまり、私は手元に地図が無い状態で

この駅にやってきてしまったのである。真っ直ぐ多摩川の方へと行くには、このもつれ合った道をなんとか攻略し、円筒分水なる所まで出て、

そこから小さい川沿いに行く、らしい。しかも方角も曖昧になっているため、本当に川沿いへ行けるのかが心配になった。とりあえず携帯の写真で

この看板の地図を撮って、これを参考に行くことにした。

 

この図を見れば分かるだろう。もう多くは説明しまい。思いっきり迷った。いつまでも彷徨っていた。しかもこの住宅街は丘陵地にあり、

激しい上り下りを何回も体験した。彷徨い彷徨って、私はなぜか久地神社に居た。もう多摩川へ行く気力など、これっぽっちも残っていなかった。

45分掛かり、円筒分水に到着した。ここで更なる失態に気づいた。

 今向かっている方向は、確かに多摩川なのだが、行きたい方向とはまるで違っていた。このまま行くと、20km地点どころか、東急田園都市線方面へ

行ってしまっていたのだ。ここで気づいたのが幸いであったが、ここから目的地までの距離は、久地駅からの距離よりも明らかに離れていた。

私は1時間掛けてとんでもない遠回りをしていたのだった。足が動きたくないといっている。体の節々が痛い。しかし、しかしここでへなっているのでは、

源流へ行くときなどどうなるのだろう。おそらくこの何倍もの労力を費やすであろう。そんなことを思えば、こんなのは大した事では無い・・・と、思うしかなかった。

それにもう戻るのは厭だ。絶対厭だ。私は歩を進めた。西へ向かって、2車線道路をどこまでも。歩いていて特に印象に残るものは無かったし、

車がとても多かったことぐらいしか覚えていない。そこから更に20分ぐらい歩いて、ようやく、辿り着いた。

 

 ようやく着いた20km地点は、既に西日に包まれて、河川敷にある公園も人はまばらであった。とにかく疲れた、が、それはあの偉大なる目的に向けての

大切な一歩となったはずだ。この経験は忘れることの無い、大事なものとなった(教訓?)に違いない。多分。

 最後に。津田山駅から多摩川は、お勧めしない。地図が読めないと、迷う。

 

20km地点(Yahoo!地図)

Back