奥多摩に眠る、隧道と橋梁たち

水根貨物線を歩く4

2008.12.13

 

 勾配標や、絶景の鉄橋など、次々と現れる遺構は我々のボルテージを高めた。

 全長6km余りの中に、廃線の要素がギュッと詰まっている気がする。

 巨大切り通しからも、トンネルが続いていく。

 だが、とあるトンネルを抜けた先には、今まで想像できなかった光景が存在した。

 

とても巨大な切り通しを抜けると、再び橋が現れた。

脇から覗いてみると、とても高いコンクリートの橋脚が見えた。どうやら微妙にカーブしているようだ。

いい感じに自然に溶け込んでいるその橋の姿に、私は思わず溜息を漏らした。

 

橋の上に出ると、下のほうに車道が見えた。青梅街道こと国道411号線だ。

暫くご無沙汰していたが、ここからは小河内ダムまでこの道と併走していくことになる。

しかし土曜日だというのに、車やバイクは余り見かけなかった。

尤も花見や紅葉の最盛期には、車の長い列を作るに違いないのだが。

私は、この車がいないという状況に感謝していた。目立つのは嫌だから。

 

因みに国道の下にはさらに旧道があり、何時ぞやの「むかしみち」のルートとなっている。

 

ご覧のとおり、線路上は半ば枯れたススキが生えている。(前にも書いた?)

日当たりがいいのか、兎に角ススキにとって廃橋は居心地が良いらしい。

それは我々とて同じで、ここに掘っ立て小屋を建てて2〜3日暮らしてみたいと思った。なあに、材料の杉なら幾らでも生えている。

そして、ここを通る散策者にお茶を振舞うのである。夢の廃線生活………阿呆らしい。

 

我々を導いてきた踏み跡は、この先のトンネル(銘板確認できず名称不明)に続いている。トンネルの延長は100mを優に超えていた。

序盤のトンネル群と比べるとかなり長いが、この先はこの程度(またはそれ以上)の長さのトンネルが増える。

 

5kmポスト…。

勾配標に続き、今度はキロポストの登場だ。

ギリギリ白さを保っている本体(?)とは裏腹に、根元は腐りきっていた。

遺構発見という面から見るととても喜ぶべきことだが、私は少し悲しかった。

そこで私は、このキロポストをほんの少しだけ現役時代に戻してやろうと思った。

 

キロポストは意外と重くて少し驚いた。

そのままの状態にしておくのが一番良いことなのは分かっていたのだが、立てた。

キロポストが、ここが5km地点だという事を強くアピールしているようであった。

 

私はこのまま立ち去ろうとしたが、10mほど進んだところで引き返して、出来るだけもとの状態に戻した。

…今では立ててしまったことを、少し後悔していたりする。

 

出口にはまたもや土砂が積まれている。

坑口が完全に埋もれてしまう日も、そう遠くないかもしれない。

奥のトンネルはそれ程長くない第一板小屋隧道。それを抜けるとすぐに第二板小屋隧道となる。

 

この辺りからカメラのバッテリーが怪しくなってきた。

やはり12月の奥多摩は寒かったのか、満タンにして置いた筈なのに、あと少しで無くなってしまいそうだった。

多少の景色の変化はあるが、大抵は同じ景色なので写真を撮る頻度も減ってきた。

 

そろそろ小河内ダムに近付いたのではないかと思いつつ、我々は第二板小屋隧道を抜けた。

 

線路完全消滅。あー…。

この谷を跨ぐ筈の線路が、消えていた。

今までは橋や築堤があったのに、この谷には何も無かった。

因みにこれはこの谷を越えてから撮影したものだ。(写真のトンネルは第二板小屋隧道)

トンネルを出てきた私は、この光景を見て写真を撮ることも忘れ、ここを越えるルートを探したのである。

 

しかしそこはメジャーな水根貨物線。この谷を越えるルートはちゃんと存在した。

 

トンネルを出て右側に、谷底まで降りられそうな踏み跡が存在する。

それを進むとこの一本橋の景色。最初は、熱心なファンかイベントにて行政かが作ったのだなと思ったが、どうやら違う。

なんと木製の電柱が倒れて、このようになったのだという。

これはなんという偶然か、折角あるのだから渡らねば。と、私は一本橋を渡ろうとした。

が、足を乗せたとき、木はミシッという音と共に撓んだ。

結局高さ1.5m程の石垣を降りて登って、水が流れていない沢を渡ったのである。

 

沢を渡ると、この斜面を登って、何故か緑色の梯子がある清水隧道の坑口へと登る。

画像が酷くブレているが、かなり薄暗かった上に足元が不安定で、ゆっくり写真など撮ってはいられなかった…。

この斜面、傾斜は60度位だが、足が土に深くめり込むので比較的登りやすい。

ただ一回、ズルズルと1mほど滑落してしまい、後ろからやってくるスイッピ氏に土をかけてしまった。

そんなこんなで、どうにかこうにか坑口にたどり着いた。

個人的には、ずっと歩きやすい線路が続いていたので、この谷越えは良いアクセントになったと思っている。

 

それにしても、橋が架かっていたとすれば何らかの痕跡があるはずなのだが、ここにはそういうものが全く無かった。

ここは沢が石垣で水路のようになっていたことから、恐らくここには橋ではなく築堤があったのではないか。

築堤なら崩せば何もなくなるはずである。

 

清水隧道の坑口には、さっきも述べたとおり梯子があった。しかも銘板を隠して。

梯子はどこに繋がっているのか、少し気になったが止めた。

トンネルの長さはやはり100m超。地形が険しくなってきたことを示しているのだろうか。

携帯電話のLEDで進むことにも慣れてきて、ペースも少し上がった。

 

それを抜けると次は第一桃ヶ澤隧道となる。長さも相変わらず長い。

小河内側の坑口には、ご覧のとおりバリケードが存在していたようだ。

因みにこれでトンネルは奥多摩から数えて20本。あと3本で終点だ。

 

第一桃ヶ澤隧道とその先に見える第二桃ヶ澤隧道(バリケード現存)との間には、桟道らしき橋があった。

バリケードが有ったり無かったりと、本当にまちまちである。どうせするなら全てのトンネルにすれば良いのにと思ってしまう。

ここは紅葉シーズンに訪れたら、さぞや綺麗だろうなと思った。

もはや、平地を走る区間が殆ど存在しなくなった。

 

国道とは、また高低差がついた様である。

因みに写真下部のY字路を左に進むと、多摩川の90km地点に至る。

それにしても、道は道で凄いところを通っている。

奥多摩は東京都だが、そんじょそこらの山々よりずっと奥深く険しい。

 

いよいよもう少しで、小河内ダムである。

 

の5(最終回)

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