奥多摩に眠る、隧道と橋梁たち

水根貨物線を歩く3

2008.12.13

 

 水根貨物線は、廃線を趣味とする者であらずとも、来るものに強烈なインパクトを与える。

 懐中電灯なしでトンネルの中を歩けば、真っ暗闇というものを知ることが出来るだろう。

 今回は、去る八剣地点からさらに奥へと進む。

 ここから先は、興奮の連続だった。

 

猿の群れを見つけて少し満足した我々は、足早に

第四小留浦隧道第五小留浦隧道を抜けた(写真なし)。

第四は前三つより更に長く、第五は上の写真くらい短かった。

上のトンネルは桧村隧道といい、長さは3040m位だ。

 

何だか兎に角トンネルが多い。

仮設路線でこのスペックとは、さすが東京都。凄いことをしたものだ。

 

桧村隧道を抜けると、間髪入れず第一境隧道が登場する。

素晴らしく綺麗な銘板が存在していたので、思わず見入ってしまった。

竣工は昭和27年。平成生まれの自分からすると、果てしなく遠い時代に感じる。

トンネル内はS字にカーブしており、長さこそ200mに満たないが、入口から出口まで見通すことは出来ない。

相変わらず懐中電灯の無い我々は、またも緊張を強いられた。

 

トンネルの出口附近には、碍子らしきものが残っていた。

トンネル内に電線が引かれていた、という事だろうか。

何十年もの月日を経て今もなお、碍子は人々にここに鉄道が存在した事実を伝えている。

 

トンネルを出ると、この景色と出会うことになる。

もうここからは、列車は走ることが出来ない。

 

一応鉄橋なのだが既に線路は無く、朽ちた枕木がこの橋を越える足場となる。

犬釘も錆びきっていて、枕木に足を乗せるとかなりぐらつく。

しかも、ツタや倒木が歩きにくい橋をさらに歩きにくくする。

さらに通過する際には、10m下の地面が丸見えである。高所恐怖症の人は、ここでアウトだろう。

慎重に慎重に、時間をかけてこの朽ちた鉄橋を越えた。

 

鉄橋を危なっかしく越えた我々は、越えたところで小休憩を取った。

さて、再び進むと第二境隧道である。

奥多摩駅から12本目のトンネルであり、そろそろ中間地点も近い。

 

トンネルの前には、人為が自然の仕業か知らないが、土砂が1m近く積まれている。

先程の鉄橋といい、明らかに線路の荒廃が進んだ気がする。

それもその筈、先に紹介した「廃線復活」では、第一境隧道の出口で進むのを断念していた。

つまりそこから先は、長いこと整備されていない区間となるのだ。

 

トンネルを抜けると、またもや朽ちた鉄橋が現れた。

但し今度は線路が補助線路と共に残っており、通過は容易だ。

…やはり路線の荒廃度が増している。

 

線路上に覆いかぶさる枝を払いながら進むと、第三境隧道にたどり着く。

黄色い看板に「高電圧危険」と。

この鉄条網に電流が流れているのだろうか?

何れにせよ、今回の行程では初めてのバリケードとなった。

しかしやはりメジャーな物件だけあって、所々鉄条網が破れていた。

 

トンネル内はカーブしている上に、かなり長い。

今までで最も長かったかもしれない。300mはあったと思う。

 

おゝ、勾配標ではなゐか!

 

トンネルの中は保存状態が良いのか、勾配標が現存していた。

下り坂を示す枝は文字が判読できなかったが、上り坂を示す枝には

しっかりと「30」という数字が残っていた。かなり感動した。

 

鉄道の世界では、30‰はかなりの急勾配だ。

ましてやSLが走っていたというから、相当難儀したに違いない。

 

興奮のトンネルを出ると、いままでずっと木々や地面に隠されてきた景色が、我々を待っていた。

水根貨物線の有名スポット、巨大ガーター橋の第四境橋梁だ。

この橋を下から見上げて撮影した写真は数知れず、ある意味水根貨物線を象徴する景色にもなっている。

 

線路の上も歩けるのだが凄く目立つので、脇のコンクリート製の歩道(?)を歩いた。

ここは、今までの路線の雰囲気とは明らかに一線を画していた。

今までの閉塞した景色から、一気に空中に躍り出た感じである。

兎に角、凄く気持ちのいいところである。目立つけれど。

なお、この鉄橋が当路線のちょうど真ん中あたりとなる。

 

鉄橋を渡ると、なにやら線路に人の営みが近づいてきた。

写真のような丸太小屋や、畑(?)などがあり、まるで私有地のようだ。

と、遠くない所で人の声がした。人影も見えた。

見つかると気まずい(と自分は思っていた)ので、足早に通り過ぎた。

この辺りは、線路がよくススキに埋もれていた。

 

来た道を振り返って撮影。

これは私有地(?)から少し進んだ所にある白髭隧道というトンネルだ。

「白髭」とは、なかなか面白い地名である。

このトンネルの直ぐ近くに「白髭神社」というものが在り、恐らくそれが地名の由来となっているのだろう。

 

白髭隧道を抜けてなお進むと、梅久保隧道を抜ける(写真なし)。

冬の弱くも暖かい日差しが、錆びたレールを照らしていた。

 

さて、今度は巨大な切り通しのお出ましである。

とにかく規模が大きい。普通に隧道にしても良かったくらいだ。

そして形も美しい。これぞまさに切り通しの中の切り通しである、と感じた。

法面の苔むした石垣が、とても見事であった。

 

この切り通しを抜け、いざ小河内ダムへ向かう。

残りは、2km程だ。

 

其の4

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