静岡・山梨一筆書きの旅

2004.12.27

 
 

 

 

 

 

 


鉄道が好きだった。いつか鉄道で遠くへ行きたいと思っていた。

埼玉の親戚の家に行くとき、池袋始発のボックスシートの電車に、りんごジュースを持って

乗ることが、その行程の中での一番の楽しみであった。

小学6年生12月。朝七時の国分寺駅。小児切符の行き先は「身延」。

ここから、私の鉄道の「旅」は、始まった…。

 

私の最初の鉄道の旅の、最初の写真は、横浜駅を写したものであった。

国分寺駅から中央線に乗り、東京駅まで行く。東京駅に降りるのも、勿論初めてであった。

ここから東海道本線に乗り、西へ西へと向かう。初めて一人で乗る長距離電車に、心が弾んだ。

横浜に着いた頃、私はカメラのスイッチを入れて、横浜駅を撮った。

 

電車は大船駅に停車した。ここで3分停車するという。

私は電車から降り、ホームの端へと向かった。上り線のホームに止まっていたのは、今は無き湘南電車。

湘南電車もまた、時代の流れには逆らえずに、硬いシートの何の面白みも無い車両に変わってしまった。

今思えば、もっと乗っておけばよかった。考えてみれば、113系で熱海まで行ったことは無かった。

 

やがて車窓の外は、箱根の峰々と相模湾の眺望とになっていく。

ここで私は敢えてカメラを山に向けた。

壁の向うに見えた山々は、私の旅の気分をさらに高めた。

20分程すると、電車は終点の熱海に到着した。

熱海から、これも今は無き113系電車に乗り、富士駅に向かった。

 

電車は富士駅に到着し、私は初めて一人で知らない土地を踏んだ。

街は、東京のそれとは明らかに違う、地方都市であった。

何の変哲も無い景色でさえ、私を更に興奮させた。

ここから身延線に乗る。私は発車時刻の40分前より並び、いい席を取ろうと思っていた。

(早く並んでいい席(進行方向窓際)をとりたいという精神は今も変わらない…)

が、来たのは…長椅子の電車(当時まだロングシートという言葉を知らなかった。)であった。

この長椅子の電車(123系)は、20073月で全て引退した。

 

仕方なく電車に乗ると、今度は検札がやって来た。

切符を見せると、車掌に「これは…違いますよ」と言われた。私が訳の分からないような顔をすると、

「これは中央本線経由の切符になっています。変更しますので520円(多分)をお願いします」との事。

驚いた。切符に経由地があるとは。ここで初めてこのことを知り、金を払って薄っぺらい紙切れを貰った。

 

1両編成の電車は、富士川が作った谷をゆっくりと進んでいく。

車窓に心休まる景色―幾段にも重なる山、大きく蛇行する川、瓦屋根の民家、うねる道路など―が流れる。

ロングシートが玉に瑕だが、これもまた良いものだと思った。多分そう思っていた。多分。

思い出は美化されるものである。

 

私を乗せた電車はコトコトと走り、やがて身延駅に滑り込んだ。

ここで1時間の乗り換え時間&昼食タイムとなった。

今なら待ってでも車内で食べるところだが、この時は駅の階段に座って、富士駅で買ったサンドイッチを食べた。

ここでバスがやって来た。行き先はあの有名な身延山。私は一体どういう所だろうと思いつつ、駅構内に戻った。

思えばロータリーから一歩も外に出ていなかった。勿体無いことをしたものだ。

 

↑構内に戻る前に身延駅を一枚。目線が低いのがお分かりいただけるだろうか(笑)

写真にある階段で、150円のサンドイッチを食べた。

 

今度の電車は、ボックスシートであった(313系)。

それに乗り込み、暫く走ると次第に視界が開け、電車は甲府盆地に入っていった。

右手に中央本線が見えてくると、駅を一つ挟み終点の甲府に到着した。

 

甲府に着くと、直ぐに中央本線のホームに向かった。

やって来た高尾行きの電車に乗り込み、夕闇の笹子トンネルを抜けた。

 

東京の灯りが見えたとき、初めて旅の充実感と寂しさを感じた。

 

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