温泉街の、忘れ去られた場所

野田トンネル旧道を歩く

2009.08.05

 

九州・大分県に存在する別府温泉は、九州地方を代表する一大温泉地である。

古く鎌倉時代より湯治場として多くの人々を癒し続け、現在でも沢山の人を集めている。

よく「別府温泉」と一括りで云われるが、これは多種多様の効用を持つ多数の温泉地の総称であり、

このなかに「鉄輪(かんなわ)温泉」「亀川温泉」「浜脇温泉」など様々な温泉地がある。

因みに、JR別府駅一帯の温泉地は「別府温泉」と呼ばれているが、一般的な意味での「別府温泉」は

一つ目の意味で使われることが多いだろう。

 

そんな別府温泉ではあるが、この地を観光するにあたってやはり外せないのが、「地獄めぐり」だ。

「地獄」と呼ばれる温泉の源泉をまわっていくものであり、別府市内に多数存在する。

それぞれが全て違う特異な景色を擁しており、見るものを圧倒する。

その中でも、別府の地獄と聞いて多くの人が頭に浮かべるのが、「血の池地獄」ではないだろうか。

温泉成分の酸化によって真っ赤になった源泉が広がる光景は、まさに血の池そのものである。

さて、その「血の池地獄」は、直ぐそばにある「龍巻地獄」とともに他の有名な地獄とは少し離れたところに位置する。

「地獄めぐり」の対象となる8つの地獄のうち上記の2つ以外は、みな鉄輪温泉に集中しているのだが、

この2つは、そこから山一つ隔てたところにある柴石温泉の近くにある。

効率よく「地獄めぐり」をするのであるならば、鉄輪温泉と血の池地獄との間にあるトンネルを通ることになるだろう。

それが、大分県道218号線に存在するトンネル――今回訪れた「野田トンネル」である。

 

20098月に九州地方へ鉄道の旅に行った際、時間が余ったので別府を散策してみることにした。

鉄輪温泉から血の池地獄へ向かうバスに乗って、雨の中進んでいるとバスはトンネルに入った。

それを抜けた瞬間、窓際に座っていた私はトンネル脇から延びる草生した道を確認した。

即座に、私はあの道を歩きたいという衝動に駆られたが、とりあえずそのまま血の池地獄へと向かった。

そしで血の池地獄を訪れ、いちいち地獄ごとに300円程度取られることを知り(一応お得なフリーパスはあるのだが)、

もう一つの龍巻地獄に行くことを断念し、私は鉄輪温泉に戻ることにした。

ただバスは発車してしまったばかりのようで、あと30分は来ない。

タクシーは駐車場で客を待っているようだが、行きのバスの乗車時間がおよそ10分だったので歩いてもそこまで掛からないだろうし、

何よりあのトンネルの旧道に行けるということで、私はタクシーを無視して歩くことにした。

 

…最後に、長い前置きに反して物件自体はごくごく小規模であることを、皆様にお伝えしておきたい。

 

血の池地獄から鉄輪温泉へと進んでいくと、道が大きく左にカーブするところがある。

川を渡ってカーブが終わると直ぐに、野田トンネルが現れる。

1977年竣工で、延長139mとさほど長くない。

幅員は10mあり、大型車でも余裕で通ることの出来るサイズだ。

両側の路肩にはしっかりと歩道もあって、歩いて通過することも難なく出来る。

銘板には「野田トンネル」ではなく「野田隧道」とあることから、正式名称は今でも野田隧道なのだろう。

 

…で、その脇にはご覧のとおりの廃道が。

位置関係といい、廃れ具合といい、野田トンネルの旧道に間違いない。

雨が再び激しくなってきていたが、私は進入することにした。

 

旧道は山裾に沿って上っていく。

入口から30m足らずのところに、「この先幅員減少」の道路標識があった。

ツタに絡まれて、いい感じに廃の様相を呈していた。

 

そして…やはりと言うべきか、ガードレールとチェーンでしっかりと道は封鎖されていた。

通行止めなどの類の標識こそないものの、言わんとすることは良く分かった。

が、…進ませていただきます。

 

バリケードから先は、舗装の至るところから生命が噴き出す廃道となっていた。

道幅自体は1.52.0車線くらいなのだが、その約半分が藪に覆われていて、かなり狭い道という印象を受けた。

事前知識も何も持っていなかったので、この先に何があるかと興奮しつつ私は進んでいた。

まあ新道トンネルの長さが100mちょっとなので、この旧道も長くはないということは分かるのだが…。

 

進むにつれて、ますます緑が濃くなってきた。

路上の叢はふんだんに雫を湛えており、わたしの靴及び脛はあっという間にびしょ濡れとなった。

 

進めども、右手の尾根は高度を下げてこない。

…ということは、この道もまた峠ではなく隧道によってこの尾根を越えるということだろうか。

道はゆるやかに右へとカーブする。

 

入口から凡そ150m、カーブを終えた道はついに山に衝突した。

右を見ても左を見ても、道らしき跡を確認することはできなかった。

…となると、あとはこの正面の笹の向う。怪しすぎる。

 

雨に濡れた笹を潜ると、…来た。

旧・野田隧道がその姿を現した。

第一印象は、とにかく暗い。そして気味が悪い。

冬場はともかくとして、少なくとも春から秋にかけては日の光が当たらないような感じだ。

 

この旧野田隧道、延長は64mだという。現道の約半分の長さだ。

幅員は5.7m。決して広くはないが、普通車ならば離合も比較的容易な幅である。

そして竣工は、1968年。新トンネルが1977年竣工だから、このトンネルは10年も使われて居ないことになる。

新トンネルを掘らせるような致命的な崩落等も確認していないし、トンネルのスペックも国道158号線に多数存在する

極狭トンネルよりは広いし、なぜ10年足らずで…?

…と思いきや、この竣工の1968年と言うのは、隧道を改修した年であり決して掘られた年ではないというのだ。

掘られた年は不明だが、昭和初期には既にあったと云う。旧野田隧道は、相当古い隧道であったのだ。

 

当隧道は貫通しているというが、坑口には腐りかけた竹が積み上げられており、私は入らなかった。

入ることも出来たのだが、如何せん気味が悪すぎる…。

 

隧道前で引き返し、再び現道へと戻る。

現道もそこそこ急カーブなのだが、こうして見ると旧道はさらに急なヘアピンカーブを描いていたことが分かった。

確かに大型車だと、かなり厳しい線形である。

観光バスなど大型車の通行に差支えがないように、新道が造られた…というところだろうか。

ここから現野田トンネルを抜けて、反対側の旧道を歩いてみることにした。

 

車が通るたびに耳をつんざく轟音がトンネル内に響き渡るのが少々苦痛だったが、難なく鉄輪側に抜けられた。

鉄輪側の坑口も、柴石側と大して変わりはない。

装飾も何もない、味気ない坑口である。

 

…鉄輪側の旧道の入口も容易に発見できたのだが、どうやら土砂置き場になっているらしく、重機が数台置かれていた。

さらにその土砂が雨で道に流れ出しており、旧道は舗装もはっきりしない程の泥で覆われていた。

歩きにくいことこの上ないのだが、こちら側の坑口を確認するまでは戻れない。

というわけで、水溜りならぬ泥溜りをなんとか避けつつ進んでいくと…。

 

鉄輪側坑口、確認!

こちら側もかなり、緑に埋もれていた。

ただこれより先は、ご覧のとおりの泥溜りが邪魔をして進めない。

…それに気温30℃湿度95%という環境は、私から探究心を削いでいってしまったようであり、

もうこれ以上進む気にはならなかった。

 

これが、旧道と現道の取り付き部分だ。

カーブの真ん中で分岐していたことが良く分かる。

 

雨は小降りになり、遠くでは蝉が鳴き始めた。

私は早く共同浴場に入って、この嫌な湿気と汗にまみれた体を洗ってしまいたかった。(終)

 

参考:tunnel web

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