かつての、上高地への関所 釜トンネルを散策する 2008.12.28
日本を代表する山岳リゾート、上高地。
標高1500mの高地に存在し、3000m級の山々に囲まれたまさに別天地のような空間であり、
名所「大正池」や「河童橋」から望む穂高連峰の眺めには、誰もが息を呑む。
春〜秋はバスやタクシーが乗り入れ(一般車は進入禁止)、非常に多くの観光客で賑わう場所でもある。
そんな上高地へ、車輪が付いた乗り物で行く場合、必ず通らなければならない場所がある。
それは「釜トンネル」というトンネルであり、「釜トン」と呼ばれ長いこと人々から恐れられてきた。
長さこそ500m程度しかないが、バスならすぐに擦ってしまう様な狭さ、エンストしてしまうような急勾配、常に濡れた路面、
真っ暗な洞内など、兎に角「凄い」トンネルなのであった。正に上高地の「関所」としての地位を保ってきたのである。
しかし、そんな釜トンに、ある日突然転機が訪れた。
平成11年に、トンネルの前後を守ってきた洞門をも突き破る土砂崩れが発生したのである。
この事件をきっかけに(勿論これだけではないとは思うが)、ついに「新」釜トンネルを建設することが決まったのだ。
新トンネルは平成14年の一部開通を経て、ついに平成17年に全通した。
これにより、「旧」釜トンネルは、前後の洞門もろとも廃道となった。
もはや釜トンネルは、「上高地の関所」ではなくなってしまったのである。
リンク先「山さ行がねが」の管理人ヨッキれん様が、このトンネルについて非常に興奮するレポートを書かれていたので、
それにインスパイアされて、自分も行ってみたいと思った。
そして今回、真冬の上高地を体験すると共に、この旧釜トンも訪れた。
但し、トンネル前後に存在するゲートより先は進んでいない。(トンネル内には入っていない…)
このトンネルに関する詳しい情報及びゲートより先のレポートは、
先に紹介した「山さ行がねが」にて公開されているので、そちらを参照されたい。
9時30分。平湯温泉を出発した私は、釜トンネル中の湯側坑口に到着した。
天気は雪。この時点で上高地の展望は絶望的となっていた。
周りでは、自分より明らかに重装備の人たちが、入念に準備をしていた。
仮設のプレハブ小屋には何人かの人がいて、私もそこで登山計画書を書かされた。
そして、準備を終えた者から次々と「新」トンネルへと入っていく。
しかしこの坑口は面白い。現坑口と並んで、ちゃんと旧坑口もあるではないか。まずは旧坑口へと向かう。
因みに旧坑口の脇には簡易トイレがあり、非常に狭くて汚かった。
旧坑口には、勿論厳重なゲートがあり鍵も閉まっている。基本的に関係者以外入ることは出来ない。
ゲートの柵の間にカメラを突っ込み、ズームしてこの先の様子を見てみる。
どうやらこの先100m程はロックシェッドが続いているようである。
その先はカーブとなって見えないが、恐らく旧釜トンの坑口が存在するのだろう。
旧トンネルは入れないので、現在の釜トンネルに入る。
どうやら今年の12月24日辺りに釜トンネルが消灯されたらしく、トンネル内はほぼ真っ暗であった。
私は懐中電灯片手に、進んでいった。
トンネルを通っている途中で、車など滅多に通らないのに電光掲示板が作動していた。しかもトンネル内に幾つも。
しかしこのトンネル、いくら進めども出口は見えてこないし、坂もずっと急なままである。
いい加減に草臥れてきた所で、やっと出口が見えてきた。
路面が凍結しているのは、坑口附近の30m程であった。
という訳で、現釜トンネルの上高地側坑口である。
辺りが雪で真っ白な中に、トンネルの中だけ真っ暗な闇を湛えていて、そのコントラストはともかく強烈だ。
少し昔までは、更にいろんな意味で強烈だったに違いない。
現トンネル坑口から視線を右に移動していくと、そこには旧釜トンへの分岐(入り口)が存在する。
無論歩く人など殆ど居らず、トンネルのほうに向かっている踏み跡は、写真にある一本だけである。
私は、まずは上高地の方へと向かった。
その詳細は、いずれお伝えしたい。
結論を言うと、寒かった。
そして13時30分、現坑口前まで戻ってきた。
松本行きのバスの時刻まで余裕があるので、いざ旧トンネルへと向かう。
踏み跡、ゼロである。
つまりここに雪が降ってから一度たりとも、侵入者が居なかったという事になるのか。
意外と人が歩いているのではないかと思ったが、そんなことは無かった。
僅かに見える高さ3.2mの標識が、この後やって来る釜トンの恐ろしさを表現している。
普通の路線バスがギリギリ通れる位の高さである。
分岐点から道は一気に下り坂となり、洞門へと接続する。
思ったより雪は深くなく、膝上辺りまで沈んでそれ以上は行かなかった。
スノーシューも何も履いていなかった私でも、どんどんと進めた。
新雪に踏み跡を作るのはとても楽しく、そして何故か優越感に浸れた。
やっほーい!ズボズボズボズボ…
あっという間に釜上洞門に到着。見た目はそれほど古そうに見えない。
それもその筈、この洞門は延長を繰り返されて、この先端部分は平成になってから出来たというのだ。
釜トンは、完成からずっとずっと手直しが続けられてきたのだ。
バスやタクシーの運転手の恐怖が取り除かれたことは分かっているが、
この時は新トンネルが少しだけ恨めしくなった。
洞門内は、これより少し先まではこのような景色が続く。
左側に壁、右側が谷である。
雪が吹き込んで、センターラインの辺りまで雪が積もっていた。
左側の壁の形状が、手前から直角、斜め、直角となっているが、
これは洞門が出来た時期が違うからこうなったという。勿論奥に行く程古くなっていく。
さらに進むと、また壁の形状が変わる。道の勾配も少しずつ急になってくる。
ここで、右側のコンクリートが何故か途切れて、豪快に雪が吹き込んでくる箇所があった。
その先には工事用の資材らしきものが。ここで何か行われるのだろうか。
因みに右の看板は「立入禁止」と書いております。
もう少しだけ、進ませてください…。
ここで外の景色を見ると、何やら凄いものがある。
どうやら砂防ダムらしく、豪快に水が流れていた。
この砂防ダム、昭和初期に作られた歴史ある建築物で、文化財にも指定されている。
しかしまた凄い凍り方やな…。
工事資材から少し行くと、いよいよ停止線が現れた。
ここから中の湯のゲートまでの間が、時間での一方通行が行われていた区間となる。
無論信号機等の設備は無く、この停止線だけがその事実を物語っている。
しかしその先にはゲートが…。
取り敢えず、ゲートまで行ってみよう。
ここで行き止まり。ここから先は、ゲートを突破しないと進めない。
因みに、ゲートは右も左もしっかりとガードされており、無理。
上は3m近くまであって、更にねずみ返しみたいにこちら側に反り返っており、かなり難しい。
下は…自己責任で。
私は、ここで進むのを断念した。ここから先は明らかに古びていて面白そうだったが、
坂が更に急になっているし、路面がつるつるに凍っていて、かなりの修羅場になりそうな予感がしたからだ。
ゲート手前には、このプレートがあった。
「かまとんねる」と、誇らしげに書かれている。
ここに書かれている延長(510.6m)とは、旧釜トンの長さだ。
この500m余りの距離で、様々な伝説を作ってきたのである。
それと、後ろのツララが凄いことになっていた。
落ちてきたら…やだやだ。
ツララに怯えながら、洞門の外に身を乗り出して撮影。
足元も滑って、これまた恐ろしかった。
この先の洞門は鋼鉄製となって、良い感じに廃の雰囲気を出してきている。
S字カーブの向うは、旧上高地側坑口が存在する筈だが、ここからは見ることが出来なかった。
旧釜トンを見るには、少なくとも一つはゲートを越えなくてはいけない。
因みに洞門の外は、人が入れない崖となっており、よほどの装備が無い限りゲートなしのアプローチは不可能だ。
但し、このゲートまでなら楽に来られるので、昔の釜トンに思いを馳せたいという方は
ここまで来て見るのも良いかも知れない。
この踏み跡を見て、旧釜トンに行ってみようと思う人が果たして居るのだろうか。
それとも、誰にも見られることなく新たに降った雪に消えるのか。(終)